東京電力の福島第二原子力発電所は、福島第一原子力発電所の約10km程南に位置しています。2011年3月11日の地震では、やはり大きな地震に見舞われました。福島第二には、4基の沸騰水型の原子炉があり、地震当時はいずれも100%出力で運転中でした。地震によって、全ての制御棒が挿入され、原子炉は安全に停止しています。
地震動自体は、設計で考えていた地震の約半分であったこともあり、原子炉の安全に関わるシステムは、地震では全く問題ありませんでした。地震の揺れで外部からの電源系もいくつか使えなくなりましたが、1系統が生き残りました。この外部電源系を使って4つの原子炉の崩壊熱が冷却されています。なお、4つの原子炉には、それぞれ3つの非常用ディーゼル発電機が備えられています。
その後、福島第二でも、福島第一よりも低かったのですが、大津波に襲われています。敷地高さは12メートルでしたが、到達した津波は7メートル程度でした。これは、設計で考えていた津波高さよりも高かったのですが、原子炉建屋などがある敷地よりも低かったのです。しかし、南東から来た大きな津波は、1号機の南側道路を15メートル程度の高さまで遡上したため、1号機の原子炉建屋は津波をもろにかぶってしまいました。ディーゼル発電機の空気取り入れ口から津波は進入し、発電機を壊すとともに、周りの電源系を壊していきました。1号機には3つのディーゼルがあったのですが津波で使えなくなってしまいました。
敷地高さ12メートルの位置にある原子炉建屋は1号機を除いて、あまり影響を受けていないのですが、そこよりも低い標高4メートルの海側にあった海水熱交換器建屋は津波の影響を受けました。4つの原子炉それぞれに2つの熱交換器建屋(合計8棟)があり、その中に緊急時に原子炉を冷却するためのポンプや、非常用ディーゼル発電機を冷やすポンプなどが納められていました。8つの建屋には水密扉が設置されていたのですが、大きな津波によって壊され、建屋内に津波が進入し、ポンプのモータや電源盤を壊していきました。
幸いなことに3号機では、1つの建屋の水密扉が壊れずに残り、その建屋内にあったポンプや電源盤は使うことが出来ました。このため、3号機は、原子炉の熱を冷却するシステムが1系統生き残り、この系統を使って原子炉の熱を安全に冷やすことが出来たため、冷温停止状態にすることができました。また、非常用ディーゼル発電機を冷やすポンプも使えたため、2台の非常用発電機が利用できました。
残りの3つの原子炉(1,2,4号機)は、津波によって、熱交換器建屋にあった原子炉を冷却するポンプが壊れてしまったため、原子炉を冷やせなくなってしまいました。また、非常用ディーゼル発電機の冷却ポンプも壊れ、非常用発電機は使えなくなりました。なお、4号機の非常用ディーゼル発電機の冷却ポンプの1つは、たまたま上の方に設置されていたため、津波の影響を逃れることができました。発電所全体で12台ある非常用発電機のうち、3号機2台と4号機1台の合計3台の非常用発電機を使うことができています。これらの非常用発電機のほかにも、外部電源が1系統使えたため、発電所全体としては電気が利用できました。この電気が使えたという事が、福島第一と大きく違うところでした。
電気はあったのですが、1,2,4号機では、原子炉を冷やすポンプが津波で壊れたため、原子炉の熱を捨てられなくなってしまいました。熱が捨てられなくなると、原子炉が冷やせなくなり、燃料が壊れる可能性が高くなります。このため、福島第二においても緊急事態が宣言されました。福島第二の周辺の地域の方々にも避難指示が出されています。
前述のように、福島第一と福島第二の最も大きな違いは電気があったことです。電気をいろいろな機械に配電する分電盤が、ほとんど壊れずに使えたことも大きいです。これは、津波の影響が小さかったことも幸いしましたが、分電盤を原子炉建屋のような比較的しっかりした建屋の中に、分離しておいてあったことも幸いしています。福島第一では、発電機や分電盤が、タービン建屋に置かれていたりして、津波の影響を受けてしまいました。
1979年のスリーマイル島事故のあと、原子炉が損傷するような事故を防ぐために、様々な対策がなされていました。これらの対策(アクシデントマネジメントと呼びます)がマニュアルとして整備されていました。このマニュアルに従い、原子炉の圧力を下げ、注水をしています。原子炉の崩壊熱によって蒸気がどんどんできますが、その蒸気は格納容器のサプレッションプールという水に流し込んで凝縮させました。 電気があったので、原子炉の圧力や水位を正しく知ることができたことも重要です。これらの情報をベースに、動くポンプや弁を操作して、原子炉が空焚きにならないように、常に水を入れ続けていました。しかし、サプレッションプールの水は、原子炉からの蒸気によってどんどん温度が上がっていきます。ついには100度を越えて、除熱が難しくなってしまいました。この状況は非常に危険な状況ですので、緊急事態が宣言されました。格納容器やサプレッションプールの温度上昇を抑えるために、水を入れたりスプレーをしたり、様々な努力が続けられています。
これらの対策と同時に、日本中からケーブルやモータを調達し、津波の影響を受けてしまった熱交換器建屋内にある、壊れたポンプを修理するとともに、重たい電気ケーブルを人力ではわせ、原子炉の冷却系を修理しました。この修理には2〜3日程度掛かりました。この間、炉心の熱によって格納容器の圧力はどんどん高くなっていきました。設計圧力に達する、ちょっと手前で冷却系が復旧し、熱を海に捨てられるようになるとともに、格納容器の圧力は下がりました。さらには、原子炉の熱も安全に冷やすことが出来るようになりました。そして、地震から3日後には危険な状態にあった3つの原子炉が安全に停止しました。
電気があれば、何とかできるという事が最も重要な教訓と思います。特に、直流電源があったことで、原子炉の温度や圧力など状況を正確に知ることができたことが大きいです。また、所長以下一体となって、状況の把握と対応を進めたことも大きかったと思います。組織が一丸となって、原子炉を安全に冷却するために、それぞれの役割をしっかりとこなしました。
福島第一の事故調査は様々なところで行われていますが、残念ながら、福島第二については、あまり議論がなされていません。電源の重要性や、冷却手法の多様性、ポンプの水密性確保などの良好事例や課題を議論する必要があります。世界中では400基以上の原子力発電所が動いています。福島第二のアクシデントマネジメントの良い事例を徹底的に分析し、また、その中で改善に繋がる課題を評価し、データベースに残していくことが実は最も重要な作業です。
設計を超える厳しい状態に陥りながら、原子炉を冷却し、ポンプを修理し、安全に停止できたという知見を世界が共有する必要があります。この良好事例の細かな情報を分析評価することが、これから実施すべき重要な課題と思っています。
| 電気があったことが最も重要 |
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