原子力なんでもQ&A(7) 

岡本孝司

エネルギーレビュー 2013年3月号54ページより転載

チェルノブイリは どうなっているの


Q:チェルノブイリ事故とは

今から26年前の1986年4月29日、ウクライナの北部、ベラルーシとの国境に近い、チェルノブイリ原子力発電所4号機で大事故が起きました。当時はまだソビエト連邦時代で、情報があまり出てこずに、大騒ぎになりました。試験実施中に原子炉が暴走し、燃料が溶融するとともに、水蒸気爆発、水素爆発が発生し、原子炉を大きく損傷しました。チェルノブイリはRBMKというソ連特有の原子炉で、欧米で利用されている原子炉とは異なる原子炉の型でした。大量の放射性物質が放出され、非常に広い範囲が汚染されました。26年経った今でも、原子力発電所から30 kmの範囲は立ち入りが制限されています。

チェルノブイリ事故は、人類が初めて経験した非常に広範囲の放射性物質汚染を伴う事故です。この事故以前には、原爆による放射性物質による環境汚染が大きな問題でした。冷戦時代に世界中で行われた核実験のため、大量の放射性物質が日本にも降り注ぎ、日本全土が幅広く汚染されました。

チェルノブイリ事故では、原子力発電所による放射性物質の放出で、ウクライナ、ベラルーシだけではなく、ヨーロッパの広い範囲が汚染されています。事故の収束にあたった作業員の方々も、大量に被ばくし、その影響で亡くなった方も数多くいらっしゃいますが、当時大量に被ばくしたにもかかわらず、未だに元気に当時の記憶を伝えようとされている方々もいます。避難が遅れ、放射線の影響を受けた住民の方々も数多くいます。ただ、ヨーロッパでは目の前での事故だったのですが、日本では対岸の火事であったのかもしれません。

Q:チェルノブイリ事故の教訓は

チェルノブイリ事故は、2つの大きな根本原因が指摘されています。1つは、低出力時に核暴走を起しやすい特性を持った原子炉の設計がなされていたこと。もう1つは、安全よりもスケジュールを優先するような、安全に対する考え方が間違っていたことです。

通常、原子力発電所の設計をする場合には、どのような状況でも、負の反応度特性を持った設計をします。何らかの外乱で、核分裂が増えた場合、物理的に、つまり自動的に核分裂を減らそうとする方向になるような特性のことです。原子力発電所の安全審査では、この特性をどのような場合でも持つことを審査します。一方、チェルノブイリも通常運転時には、負の反応度特性を持っていましたが、極低出力のある条件においては、その特性が満足されない条件がありました。

また、安全を第一に考える「安全文化(Safety Culture)」の劣化が起きていたということも指摘されています。「文化」という語を用いていることから、非常に広い意味に捉えられることがありますが、意思決定、作業などに、常に安全を優先する考え方、また、常に安全について考えている文化のことです。事故の後、安全文化が劣化しないように、様々な方法が世界中で考えられてきました。残念ながら、日本においては、原子力安全は横において、書類安全(判子が全部ついてあるとか)を優先することが安全文化であるような規制をやってしまったため、リスクを考えずに、書類ばかりを一生懸命見るようになってしまいました。これが福島第一事故の重要な原因の一つなのですが、新しい原子力規制庁は全く反省せず、リスクを考えずに、やはり書類形式や一部のリスクにこだわるようになっています。世界とはかけ離れた日本の規制を心配しています。

Q:ウクライナの現状は

筆者は2012年の12月に、チェルノブイリ原子力発電所を訪問する機会を得ました。キエフの町は雪が降っていましたが、クリスマス一色でした。雪道を車で約2時間、30 km圏内に入域するための検問所に着きます。原子力発電所から約15 km南に、チェルノブイリ市があり、そこは、現在、発電所の廃止措置や環境汚染除去などを実施している作業員の方々の前線基地になっていました。当時利用されたロボットなども展示されていました。また、強制的に避難をさせられた近隣の村々の標識が、博物館の近くに集められ、雪に埋もれていました。

発電所の近くには、発電所従事者の方々が住んでいたプリピャチという町もあります。建物が26年間全くメンテナンスがされておらず、大変危険な状態のため、立ち入りが制限されています。放射線量はさほど高くはありませんでした。プリピャチの住民は、事故の翌日避難しましたが、周辺の村々の避難は1週間程度遅れ、このことによって、ヨウ素による被ばくの影響が現れてしまいました。福島では、いろいろ課題も多くありましたが、避難が行われた結果、ヨウ素による被ばくの影響はほとんどありません。

避難した住民の方々のため、スラブーチッチという町を新たに作り、そこで仕事と医療を提供しています。この町には現在も数多くの住民の方々が暮らしています。街づくりや避難に際しても、数多くの失敗例や成功例があります。日本でもこれらの事例を学んで、一日も早い復興を進めてほしいと思います。

発電所は現在、いわゆる石棺によって放射性物質の閉じ込めが行われています。消防士や数多くの作業員の方々が、放射線の被ばくを受けながら、突貫工事で作業をされました。しかし、長年にわたる風雨を受け、屋根がはがれていたり、損傷が起きたりしています。屋根のはがれは、修繕をされていますが、本質的な廃止措置に向けた作業が始まっています。これは、高さ約100 mの大きなドームで、発電所を覆ってしまおうというものです。訪問した当日は、28 mまで立ち上がったドームが雪の中に静かにたたずんでいました。28 mでも非常に大きな構造物ですが、それが3倍以上の高さまで立ち上がるそうです。

なお、チェルノブイリ発電所には、事故を起こした4号機に隣接して同じ型式の3号機があります。3号機の隣には、1、2号機があります。事故当時はソビエト連邦でしたが、その後、ウクライナは独立しています。エネルギーはロシアからの天然ガスに多く頼っています。ウクライナでも一時は原子力発電を止めるという議論がありましたが、電気が足りないため、チェルノブイリ発電所1、2号機はもとより、4号機に隣接していた3号機まで稼動させ、電気を供給していました。事故の原因を究明し、対策をとって発電を継続していました。しかし、2000年には3号機を停止させ、今は、チェルノブイリ発電所は発電をしていません。

現在も、ウクライナではエネルギー供給源としての原子力発電の重要性を認識し、電力の約50%を原子力発電でまかなっています。地政学的な影響があるとはいえ、全く同じ形式で、かつ、壁を一つ隔てた隣の3号機まで運転していたというのは、合理的な考え方ではありますが、日本ではおそらく考えられないことではないかと思います。

日本もエネルギーの多くを輸入に頼っている点ではウクライナと同じです。日本は地政学的に比較的安定な極東にあり、また、GDPが世界第3位で、高価なエネルギーを購入できる余裕がまだある点が異なっています。ただ、不安定になるリスクも大きくあり、エネルギー戦略を含めた合理的な判断が今後必要になってくると思います。日本は、事故後1年にわたって、安全に稼動していた原子力発電所を、合理的な理由もなく停止し、ストレステストや新安全基準のような、本質的な原子力安全とは異なる非科学的な議論で、結果的にリスクを高めた上で再稼動しようとする非合理な国です。

福島地域の復興と、日本国の復興のため、謙虚にウクライナに学ぶことが重要だと思っています。

大ドームで発電所を覆う廃止措置中

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