日本においては、原子力発電所の規制を行っていたのは、原子力安全・保安院(以下、保安院)でした。東京電力福島第一原子力発電所事故において、そのマネジメント能力の欠如が明らかになりました。また、リスクを考慮した規制の導入が世界に比べて遅れていたことなど、世界の規制当局と比べて劣っていることが明らかでした。
事故の反省を踏まえ、当時の民主党政権が自民党・公明党などと議論のうえで原子力規制委員会(以下、規制委員会)を設置する法律を制定し、新しい規制組織として2012年9月に発足しました。ところが、驚くべきことに、規制委員会の事務局である原子力規制庁(以下、規制庁)のメンバーは、福島第一原子力発電所の事故で失敗した保安院のメンバーが、ほとんどそのまま横滑りしています。
事故を起こした大きな原因の一つは、保安院がリスクを考えない規制を行っていたからです。具体的には、リスクの大きなシビアアクシデントなどの規制を後回しにし、リスクの小さなハンコや書類のミスを大きく取り上げて事業者を糾弾していたのです。事業者もこの保安院の規制に慣らされてしまっており、リスクを考えずに、とにかく保安院の言うとおりにしておけば良いという形で、改善を後回しにしていたのです。保安規定さえ守っていれば良いというリスクを全く考えない、また非科学的な規制に事業者も規制側も安住していたのです。
例えば、リスクを考慮する場合に重要な、原子力発電所の安全目標を決めようという議論は2004年に中間報告が出されていましたが、その後全く動いていませんでした。
「改善」をする、つまりより原子力発電所を安全にするための新知見が得られたとしても、それを導入することよりも、現状維持を優先したと言ってもよいかもしれません。この新知見には、発電所の危険を回避する新知見だけではなく、発電所をより安全にする新知見もありました。もちろん、危険を回避するための新知見は、積極的に取り入れられてきました。例えば、神戸で起きた地震の知見をベースとして、耐震指針が改定され、バックチェックが実施され、発電所における補強が進められてきていました。
しかし、発電所をより安全にする新知見は、後回しにされてきました。海外の沸騰水型軽水炉(BWR)では既に10x10燃料といわれる最新燃料が10年以上前から導入されているのですが、日本においてはまだ導入できていません。安全性をより向上させることよりも、現状維持をすることが良いと考えられ、日本では10年以上遅れた旧式の燃料をまだ使っているのです。
新しく出来た原子力規制委員会と規制庁は、過去の間違った考え方を十分に反省して、世界最高水準の規制を目指していただけるものと思っていたのですが、そうではないようです。過去の規制を間違えた張本人である保安院のメンバーがそのまま残り、自分たちの失敗を棚に上げて、同じ間違いを犯しています。このままでは、規制によって事故が誘発されます。
まず、規制委員会は、広く意見を聞いて判断することになっていますが、少なくとも、過去、規制に関わっていた専門家の意見を聞く耳を持っていません。それは、一流の専門家の科学的なコメントに対して、回答できる能力を持っていないからにほかならないのであろうと思います。 例えば、活断層にしても、神戸や淡路島を直接調査された先生方によれば、断層がずれて上にのっている建物が全て壊れるというのは、風評であると断言されています。いかにも地面がずれると、上にのっている建物が壊れそうですが、それは、非科学的なイメージで、科学的にはそう簡単には壊れません。断層というのは、地下数キロメートルより深いところにあり、それが大きくずれることで地震を引き起こします。そのエネルギーによって、高速道路は倒れますし、建物も倒れることになります。そのずれが大きいと、地表にまでずれが現れてきます。
この地表に表れてくる断層にも様々な種類があり、本当に危険な断層と、そうではない断層があるのです。淡路島でも、地表の地割れがずれたことによって古い建物は壊れたものもあるようですが、新しい建物は家が傾いただけでした。この傾きよりも、地震の振動による被害が大きいことは明白です。大きなリスクには目をつぶり、風評に惑わされて非常に小さなリスクを強調することが行われています。これでは、科学者ではなく、アジテータでしかありません。
これは活断層だけではありません。いわゆる新安全基準も、小さなリスクを強調し、大きなリスクを見過ごしています。保安院と同じメンバーが、事故前と同じ規制の延長で考えているため、どうしてもハードウエア中心の規制になってしまうのです。では、どうすべきなのでしょうか?
事故前に先送りしていたリスクの考え方を前面に持ち出し、リスク上重要なものに規制を集中する事が必要なのです。それは、確率論的安全評価をやれば良いということではありません。もっと総合的にリスクを捉えなくてはなりません。リスクを低減しようと対策を行うと、必ず別の場所にリスクを導入してしまいます。どこにリスクがあるのかをしっかりと把握し、大きなリスクを低減することに集中しなければなりません。小さなリスクを低減しようとする場合には、その対策が総合的に見て全体のリスクを低減していることを確認しないと、逆にリスクを高めることになるのです。
国会事故調査委員会によれば、規制の問題は、事業者のとりこになったということになっています。私は2004年から旧原子力安全委員会や保安院の委員会に出席していました。同時に、アメリカやフランスの規制のあり方の研究を進めてきました。世界と比べて、日本の規制が非常に遅れていたことは認めざるを得ません。しかし、それは、事業者のとりこになっていたというより、役所の前例至上主義に染まっていたからにほかなりません。国際原子力機関(IAEA)の防災の考え方が改善されたので、日本でも防災の見直しをしようとしたところ、保安院が「寝た子を起こすな」と言って改善が阻害されたのはその一例です。
原子力発電所は、危険なものなのです。この危険な原子力発電所の安全をいかに高めるかというベクトルに向かって規制をしていかねばなりません。世界中の規制は、この原子力安全を高める方向に進んでいます。机の前で議論をしたり、発電所の一部を見ただけで全部分かったような気になることは非常に危険です。
原子力安全を高めるためには、規制当局と事業者、メーカなどの間で、密なコミュニケーションが必要です。科学的視点に立ち、対等な立場での議論が重要です。アメリカでは、規制当局と事業者は、原子力安全という同じ目標に向かって議論をし、より良い方向を目指しています。しかしながら、現在の日本では、全くコミュニケーションがとられていません。まるで、コミュニケーションが悪であるかのような風潮は、規制庁の実力劣化にも繋がりますし、日本にとって良いことではありません。規制は独立(Independent)であるべきだが、孤立(Isolation)してはいけないと、規制委員会の国際アドバイザーも12月に述べられています。
今の規制委員会は、明らかに孤立しています。実力のない規制委員会が孤立するとどうなるでしょうか?
日本の原子力は、世界で最も危険な状況になっているといっても過言ではないと思います。
| 孤立していては危険性が高まるだけ |
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