原子力なんでもQ&A(9) 

岡本孝司

エネルギーレビュー 2013年5月号48ページより転載

安全文化とは

Q:安全文化とは何でしょうか?

 1986年に発生したチェルノブイリ原子力発電所の事故は、安全文化の欠如がその根本原因であると考えられています。緊急時対応を目的とした試験をしていたのですが、試験工程の遅れを取り戻すために、原子炉の特性をあまり考慮に入れず、無理矢理に実験をしていました。安全よりも工程を優先したがために、大事故につながった、ある意味、人や組織が起こした事故でした。

 この事故の後、工程やコストにとらわれず、すべての活動を「原子力安全」を目的として活動すること、すなわち、安全第一を個々人が認識するとともに、組織が安全を第一に考える姿勢を形成することが必要であると認識されています。これがSafety Cultureと呼ばれる、人や組織の持つべき基礎的態度であると考えられています。

 日本では、このCulture を「文化」と訳したため、「安全文化」というキーワードが使われるようになりました。英和辞典で Culture を引くと、文化のほかに、教養、修養、教育、耕作、栽培といった意味が出てきます。

 ここでいうCultureは文化というよりは、「安全に対する基礎的な教養を育んでいく」という、能動的な活動を示しています。ただ単に「安全第一」と考えるだけではなく、常に継続的に、安全とは何かという命題を、またはどうすれば安全になるかということを考え、企画し、実施していく態度そのものを指しているのです。

 ところが、日本人の感覚としては、「文化」というと、民族もしくは地域の持っている特徴的な背景を指すように思えます。「文化」を辞書で引くと、「人間の生活様式の全体。人類がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。特に、哲学・芸術・科学・宗教などの精神的活動、およびその所産」(大辞泉)といった説明が並びます。安全を第一に考えていく精神的活動であると捉えることができれば良いのですが、違う意味にも捉えることが出来そうな言葉です。

 また、文化の中には、安全の考え方を養っていくという能動的な活動の意味は出てきません。Safety Culture で本当に大事なのは、現在「安全第一」であることという文化よりは、耕すという行為、つまり改善活動を進めていくことこそが、カルチャーなのです。

   言葉は危険です。特に翻訳をする場合には、十分に気を付けないと、その思想の持つ一部のみを表し、本質を捨ててしまうことがあります。安全文化などはその典型かもしれません。同様に、翻訳で間違って解釈されているのが、Defense-in-Depth 深層防護です。事故前には、多重防護という翻訳がされており、この多重というキーワードに、ハードウエア偏重の遠因を見ます。

 さて、本稿では、安全文化ではなく、セーフティーカルチャーというキーワードを使います。

Q:原子力とセーフティーカルチャー

 原子力は大変危険な放射性物質を扱います。このため、深層防護の思想をベースとして、何層にもリスクを低減するための対策が取られています。設計、運転、保守などはもちろんのこと、万一大事故が起きたときにも事故を拡大させないためのマネジメントであるとか、万一放射性物質が環境に放出される事態になった時の対応など、可能な限りリスクを低減することが行われています。

 しかし、人間の行うことにゼロリスクはあり得ません。リスクを十分に小さく制御することは可能ですが、どのように防護をしようがゼロにはできません。深層防護思想によって、対策をとることだけではなく、原子力にかかわるすべての人や組織が、常に原子力安全に向って努力を続けること、安全に関して改善を続けていく事が重要になります。この努力を継続する力こそ、セーフティーカルチャーの一部です。

 セーフティーカルチャーは、深層防護を大きく包み込む背景のようなものです。建物でいうと、地盤ということになります。この背景があるからこそ、深層防護が生きてきます。逆にいうと、深層防護だけでは不十分であるということです。背景としてのセーフティーカルチャーが劣化していれば、その上に乗っかっている深層防護も不安定です。セーフティーカルチャーがしっかりしていることが、最も重要な視点です。

Q:セーフティーカルチャーの劣化

 セーフティーカルチャーの本質は、常に改善をし続ける態度、人や組織を常に見直し耕していく態度にあります。何もしないと、簡単に劣化していきます。東京電力福島第一原子力発電所事故の前の、日本の原子力のセーフティーカルチャーはどうなっていたのでしょうか? 原子力安全・保安院が「寝た子を起こすな」といって改善を止めた話は有名ですが、これは氷山の一角にすぎません。

 発電所の安全を確保するために、品質保証制度を取り入れたのですが、その意味を取り違え、マニュアル通りに実施されていることを確認することが品質保証であると考えてしまったのです。たとえ原子力安全とは全く関係のないミスであっても、マニュアルを逸脱しているだけで、大きなペナルティーを与えられます。また、原子力安全に向う改善をしても、全く評価されませんし、マニュアルの変更手続が大変厄介でした。つまり、現状維持が美徳とされ、改善を続けることを拒むような状態にありました。

 セーフティーカルチャーの視点で考えると、全く間違っています。しかし、当時は、マニュアルを守る事が安全文化であると誤解し、日本の安全文化は世界的にも十分高いと考えていました。確かに安全を考える文化は、それなりに出来上がっていたかもしれませんが、安全に対するカルチャーは劣化し、目も当てられない状態になっていました。

 様々な事故調査委員会の報告書が、この安全文化の劣化を指摘しています。確かに、セーフティーカルチャーの劣化が事故を招いているといっても過言ではないと思います。では、事故を受けて、原子力に関わる組織の認識は変わっているか?というと、残念ながら、一部は、以前のまま、もしくはもっと悪くなっています。

 いくつかの電力会社は、設計を超える事態に対する対策を考え、また可能な限りリスクを下げるために様々な対策を自らとっています。セーフティーカルチャーとして発電所全体で考え、また議論し対策することで、発電所の能力が大きく向上してきています。しかし、一部の電力会社は、やはり安全文化を規制当局の言うとおりに実施することと間違って理解しているようで残念です。

 なお、規制当局は残念ながら以前のままです。とにかく保守的に考えることが安全である、その安全を守ることが安全文化であると意図的に勘違いしていると思われます。リスクを低減するために、改善を進めることがセーフティーカルチャーなのですが、事故前と同じ、もしくは事故前よりも保守的に考えすぎています。保守的であれば安全であるという間違った安全文化になっています。

 ストレステストの報告書も、誤字脱字チェックが行われ、誤字の多い報告書は審査もしてもらえませんでした。中身をしっかり評価し議論することによって規制当局のセーフティーカルチャーが向上するのですが、その前の誤字脱字という安全には全く関係のない安全文化を優先したためにセーフティーカルチャーの劣化を招いています。

 是非、保守的ではなく、安全を第一に考え、そのための改善を継続するというセーフティーカルチャーの本質にそった改革を進めていただきたいです。

 セーフティーカルチャーを原子力を進めるすべての組織に根付かせることが重要です。

安全を第一に考え、改善を継続する活動

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