人間の作り上げた物やシステム(人工物と言います)は、すべてが人間の役に立つことを目的として作られています。この時に、役に立つだけではなく、時として、人間に不利益をこうむらせることがあります。例えば、自動車は移動手段として役に立ちますが、一つ間違えると交通事故につながります。原子力発電所も、社会に電気を供給しますが、大事故が起きる大規模な放射性物質汚染を引き起こし、社会に多大な影響を与えます。
人工物は、どのようなものであっても、役に立つだけではなく、事故の危険性があるのです。この事故の危険性を可能な限り少なくすることが、すべての人工物には求められています。自動車は、運転免許を持った能力のある人しか運転できませんし、2年に一回の車検で故障を起こさないようにチェックしています。
人工物の安全は、まずシステムの設計によって安全を確保し、次に、運転や保守によって危険性を小さく抑える事が行われます。しかし、機械は壊れますし、人も間違えます。絶対に壊れない機械や、絶対に間違えない人は存在しません。このため、ダブルチェックや、何重ものバックアップによって、事故につながらないように対策がなされています。それでも、事故につながる確率をゼロにすることは不可能です。また、大津波のような自然現象によって、事故を誘発する可能性も考えねばなりません。
全ての人工物においては、事故のリスクをゼロにはできないことを認識し、常にそのリスクを低減するべく努力を続けていくことが重要です。原子力発電所においても、放射性物質を放出するリスクはゼロではないことを認識し、常にこのリスクを低減するための改善を続けていくことが必要です。重要なことは、リスクが十分に低いことを確認するだけではなく、そのリスクをさらに小さくするために努力を続けることです。では、どの程度のリスクであれば、十分に低いとみなされるのでしょうか? この十分に低いと考えられるリスクを安全目標と呼びます。
原子力発電所の安全目標は、今から10年前に当時の原子力安全委員会で議論され、中間報告として取りまとめられています。
これらのリスクと比較して、原子力発電所の敷地境界に居る一般の人が、原子力発電所の事故によって死亡するリスクを約1x10-6を超えないようにしようということです。がんや心臓疾患に比較して3桁以上、つまり1000分の1以下のリスクとすることを目標にしましょうということになります。この程度のリスクであれば、人間が様々な活動をしていく中で受けるリスクと比較して、原子力発電所のリスクが、十分に小さいリスクと考えられるのではないかという提案です。なお、原子力発電所の敷地境界に居る人にとってのリスクを十分小さくすれば、離れた場所に居るほとんどの人にとっては、さらに小さなリスクになります。
このような考え方は、日本だけではなく世界各国で取り入れられています。具体的な約1x10-6という値も、世界各国と同様の数値となっています。なお、この数値は目標値であり、これを満足すれば良いということではありません。事業者は、さらにリスクを低減すべく、継続的な活動を進めることが必須です。
この継続的なリスク低減努力をサポートするものが確率論的リスク評価です。機械の故障するデータを集めて、その確率を推定します。いろいろな事故のシナリオを想定して、その失敗や成功確率を評価し、最終的に事故が起こり得る確率を定量的な数字(確率)で推定していきます。この数字には、様々な不確実さがあることを認識しなくてはなりません。
さて、この確率論的リスク評価によって、事故のリスクを評価する本来の目的は、原子力発電所における様々な活動がリスクを大きく増大させることがないことを確認したり、リスク低減のために実施する対策が総合的にリスクを低減できることを確認するためにあります。状態Aと状態Bのリスクを比較して、より低いリスク状態を選んだり、双方の状態ではほとんどリスクが変わらないことを確認するためなど、相対的な評価を行うために用いられます。
確率論的リスク評価で求まる値は、原子炉の炉心が損傷する確率、格納容器が壊れて放射性物質が外部に放出される確率、そしてそれらの放射性物質によって人が被害を受ける確率などです。安全目標と関係するのは、炉心が損傷し、格納容器が壊れ、放出された放射性物質によって人が被ばくし死亡する確率となります。安全目標を達成するためには、その前の、格納容器が壊れる確率や炉心が損傷する確率を小さく抑える必要があります。
そこで、安全目標につながる、炉心が損傷する確率や格納容器が壊れる確率を、原子力発電所が最低限持つべき性能ととらえ、性能目標として定義することが行われました。例えば、炉心が損傷する確率を1x10-4程度に抑える事が出来れば、事故による人の死亡リスクを1x10-6程度に抑えられると考えることができると計算されます。1x10-4は、1万年に1回炉心が損傷するということもできますし、1万基の原子炉のうち1年あたり1基の炉心が損傷するということもできます。
世界では原子力発電所のリスクを真正面からとらえて、リスクに対する議論が進められていました。日本では、安全目標も10年前に中間報告されたままで、先送りされてきていましたが、今回の事故でリスクを正面からとらえることが必要になりました。リスクの考え方は、上記のように、人に対する健康被害を指標としていました。
しかし、チェルノブイリ事故では、環境が大きく汚染され、社会に対して多大な影響を与えました。このことから、世界、特に欧州では、人に対する指標だけではなく、環境に対する指標を導入することが議論されてきました。このため、事故による人への影響を十分に小さくするだけではなく、放射性物質の放出量を抑える指標が導入されてきています。 放射性物質の中でセシウムは半減期が30年であるとともに、水によく溶け、土に沈着する性質を持っていて、環境汚染の最も重要な核種です。このことから、例えば、フィンランドではセシウム放出量を100TBqに抑えることも安全目標に掲げています。
日本でも、ようやく、安全目標が決められます。リスクを指標とした規制を進める世界的標準の考え方に、ようやく近づいてきたことを歓迎します。安全目標は、満足することが目的なのではなく、常にリスクを低減する努力を続けることが目的であることをしっかり認識していくことが重要です。
| 十分に低いと考えられるリスク |
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