新しい原子力規制委員会が発足して3年経ちました。原子力規制委員会設置法の附則第五条に、組織について3年以内に見直しを行うことが明記されました。今年、自由民主党などを中心に、見直しの議論が進められて来ましたが、残念ながら、まだ3年目ということもあり、ほとんど見直しがなされないようです。改めて、原子力規制とはどのようなものなのかを考えてみたいと思います。
日本において、原子力利用は、原子力基本法に依っています。原子炉等規制法などを含めて、原子力基本法が大元になります。原子力基本法の第二条には、「原子力利用は、平和の目的に限り、安全の確保を旨として、民主的な運営の下に、自主的にこれを行うものとし、その成果を公開し、進んで国際協力に資するものとする。」と書かれています。原子力の利用を、安全の確保を大前提として、民主、自主、公開の三原則の下で進めることが明記されています。
また、第二条第二項には、「前項の安全の確保については、確立された国際的な基準を踏まえ、国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として、行うものとする。」と、安全の確保を規定するのは、国際的な基準であることを明言しています。日本独自の孤立した重箱の隅をつつくような議論ではなく、国際的な基準を用いなくてはなりません。
さらに、原子力の利用は、国民と環境を守ることを前提として実施することが規定されています。「環境」というキーワードは福島第一の事故の反省から追加されました。IAEAの世界標準である「原子力安全の考え方」 (Safety Fundamentals)は、2006年に制定されましたが、この中で原子力安全の目的を、放射線の害から「人」と「環境」を守ると明言されています。(protect human and the environment)。2006年の制定から、2011年の福島第一事故までの5年間にわたり、日本は何をやっていたのでしょうか?
安全の考え方を改訂しようという原子力安全委員会での議論は進められていましたが、過去からの連続性を重視し、また、運転中の発電所への大幅な変更を嫌い、十分な議論がなされてきたとは言えませんでした。いろいろな改善のための報告がなされましたが、「時期尚早」という一言で、安全への反映はなされませんでした。例えば「環境」を守るということは具体的にどうすればよいのかについての議論も時期尚早でした。世界では標準的に導入されている、確率論的リスク評価(PRA)をツールとして用いるリスクベースの安全の考え方も時期尚早でした。ある意味、福島第一事故以前の、この時点で法律違反だったのかもしれません。
IAEAが環境を守る事を強調したのは、チェルノブイリの事故を経験しているからです。チェルノブイリの事故で、ヨーロッパの環境は広範囲に汚染されました。ヨーロッパが中心となって進めてきたIAEAは、このために環境を守ることを強く意識しています。一方、日本では、原子力技術を主としてアメリカから導入したため、アメリカの基準を主として利用してきています。アメリカの考え方とIAEAなどヨーロッパの考え方には少し違いがあります。
どちらも国民を守ることが主体になっていることは共通ですが、その考え方が若干異なります。いずれにせよ、世界では標準的な、リスクを中心とした考え方や、「環境」を保護するという考え方は、残念ながら、現状でもほとんど取り入れられていません。一部取り入れようとする動きもみられますが、規制委員会などの議事録を見ても、「時期尚早」というニュアンスの言葉が躍っているだけです。
規制委員会設置法附則第五条に従えば、より国際的な基準に合致するように、3年以内に組織を見直すことが明記されているのですが、これでは、福島第一事故前の組織と何ら変わりがありません。
原子力規制のあり方を、国際的な基準をベースとして議論し、より良い規制につなげていくことが必須です。規制の目的は、原子力基本法にあるように、国民の保護、環境の保全並びにわが国の安全保障に資することです。規制委員会のホームページにもそのように記載されていますが、残念ながら、現在実施していることは、単に、法律の条文にあっているかどうかを見ているだけに思えます。法治国家ですから、法律に準拠することは大前提です。気になるのは、法律にあっているかどうかを、規制庁の担当者が判断していることです。裁判所であれば、判例などをベースとして、裁判官によって判断がなされます。しかし、必ずしも安全とは関係のない、担当者の思い込みによって判断がなされると、非科学的になります。
国際的な基準に従えば、国民の安全を確保するためには、発電所全体のリスクを下げることが重要です。担当者が決めた一方的な条文の解釈を守ることではありません。なんとなくですが、裁判となった時に規制庁が不利にならないために、規制をしているふりをしているだけにも思えます。国際的な基準に従うことなど全く考えていないようにも思えます。規制委員会の委員は、本来は、俯瞰的に規制全体を見て、原子力発電所全体のリスクを評価しなくてはならないのですが、規制庁が組織維持のために出してくる、局所的なリスク低減を追認する作業をしているようにも感じます。
日本の行政組織というのは、組織の維持と予算確保のために作業をしているようにも見えます。原子力規制委員会設置法の第一条に、「縦割り行政の弊害を除去する」ために原子力規制委員会を設置すると明言されています。残念ながら、原子力規制委員会が新たな縦割り行政の組織になってしまいました。例えば、原子力安全研究のための予算は、経済産業省等や原子力規制委員会により個別に使われており、類似の研究が情報交換なしに進められています。特に規制委員会は孤立することを極端に考えすぎていて、研究においても、情報交換を拒否するきらいがあります。これは、特に基礎研究については間違っていますし、税金の無駄です。
何が国民の安全につながるのかを理解している人が少ないため、法律の条文を極端に安全側に解釈し、原子力を利用しないことが安全であるという間違った思い込みをしている方もいるようです。個人個人の思い込みの判断は、その局所的には大した影響がないのですが、それを全員が行うと、日本の原子力システムは非常に危険な状態になってくると思います。
例えば、近畿大学の原子炉は熱出力1Wです。事故を起こした福島第一原子力発電所は、3基合わせると熱出力60億Wで、60億倍、つまり10桁位出力が違います。今、福島の発電所の格納容器の中では、10Sv/hという恐ろしく高い放射線レベルになっていますが、10桁小さくすると、1nSv/hとなり、東京の自然放射線レベルの50nSv/hと比べても十分に小さくなります。しかし、なぜか、60億倍大きな容量を持っている原子力発電所と同じレベルの審査が続けられています。これは、規制庁がリスクを理解できていないということの証拠とも思われます。
IAEAはGraded Approachという概念を提案しています。これも国際的な基準の一つです。安全上重要なものをしっかりと見る必要があるということです。しかし、現状は法律に書かれていることを拡大解釈して、紙の上だけの安全を追及しています。安全上重要でないものに規制資源が集中されていることからも、安全上重要なものがどっさり抜け落ちています。紙の上がいくら安全でも、現場は危険になります。しかし、規制庁は、紙の上で安全を確保したことを証明することに一生懸命です。それは裁判になると、現場の安全ではなく、紙の上の安全について評価されるからです。リスクを理解するのには、かなり勉強しなくてはなりません。リスクをわかっている規制庁職員の皆様に、頑張っていただき、局所的なリスクではなく、全体のリスクを低減するためにどうすればよいかをしっかり考えてほしいと思います。
| 国際的な基準を用いた安全の確保を |
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